ミャンマーにおいて南洋真珠の養殖生産はバーマと呼ばれていた1954年からです。
ミャンマーの南に位置するタニンタリー管区にあり昔からメルギー群島として知られるメェイ群島です。800の島があり25600平方キロメートルの面積からなっています。ほとんどの島は未開発でハクチョウ貝の生息地として昔から知られています。
最初のハクチョウ貝の採取は小型の木船で漁場を求めて島から島へと移動しているサロネ(Salone)人でした。それから1890年イギリスの植民地時代に貝の収集するための漁業規定が公布されました。1912年は海外からの69隻を含む114隻貝採取のダイビング船がいました。
1954年日本人の高島氏は「南洋真珠会社」を設立してミャンマーでの真珠養殖を開始しました。国内企業との合併でした。球形の真珠養殖は1954年10月にすぐに事業化しました。海底で真珠を3年間養殖した後1957年に収穫しました。これらは第2次世界大戦後世界で最初の南洋真珠の収穫でした。そして2466個、1637.89匁の真珠は日本へ送られました。これらは世界最高であると考えられて最高値で売れたとアンディミュラー氏の本「養殖真珠100
年」で述べています。世界最高のミャンマー南洋真珠を購入するためミュラー氏は20回訪れました。1958年からスタートして1963年まで日本人は3ヶ月に1回収穫しました。1966年
12月にミャンマーの技術者は4281個3091.50匁を収穫しました。これらはミャンマーで日本人が人工採苗した真珠でした。
1964年に若いミャンマー生物学者は日本人の協力なしで貝に挿核を始めました。そして
1966年に成功しました。日本人が真珠を作るため核を入れることはわかりましたが真珠を作るのは難しいことがわかりました。医者の協力を得て同種移植という挿入方法を試みました。日本人に挿核の訓練を受けなかった技術者ばかりでした。
1969年に初めて商業ベースの収穫がありました。それは南洋真珠
3485個1919.70匁でありました。それからミャンマー南洋真珠はミャンマー宝石ひすい真珠展示競売会場で販売されるようになりました。そして世界のバイヤの要求を達成できるようになりました。
1983年ミャンマーの生産は最高品質の真珠を17貫以上と最大の収穫をしました。
それから増産に努めたがバクテリアの汚染の流行により貝がたくさん死亡し、不十分な供給原因により失敗しました。回復するのは非常に遅く10年間かかりました。
最近真珠養殖と貝の人工採苗のため海外の3企業と国内2企業の合併会社ができました。その結果、生産向上により2001年に真珠24貫生産するまでに至りました。ミャンマー真珠産業は2005~2006年度に160
貫の収穫が期待されています。